◆「秋水」第四話 「オバマ大統領にノーベル平和賞受賞の資格は有るか
」
皇紀2669(平成21)年10月11日
米国のバラク・オバマ大統領への
「ノーベル平和賞」授与が決定された。
受賞の理由は、「国際外交と諸民族間の協力強化のために並外れた努力を払い、
世界の人々により良き将来への希望を与えたことに対して」だそうだ。
しかし、今回の受賞に対し疑問を抱く者が少なからず存在する事は間違いないだろう。
例えば、我が軍の“同盟国”である
連合公国
のヒデ公爵殿下はオバマ氏への受賞決定を伝える報道記事を紹介した上で、
「オバマ大統領、何かしましたっけ?ノーベル平和賞って、何でしたっけ?
ノーベル平和賞は政治家ではなく、長年に渡って地道に人道活動をしている人に贈らないと意味がないと思います。
はっきり言って、選考委員の見識を疑いますね。」と評している。
全く仰る通りだ。
オバマ氏が「平和」への強い要求を有しているのも事実かもしれない。
しかし、
現時点では彼が世界平和実現への貢献をしたことが無い事も又事実だ。
◆
現時点の彼への受賞にも大きな疑問が残るが、
そもそも「ノーベル平和賞」の存在自体も疑いの目を向ける必要が有るのでは無いだろうか?
「平和」とはあくまで主観的な要素の強いものであり、科学や数学等の様に一元的に「この人の功績は立派だ」と決め付けられる物ではない。
ネット上等でも良く聞かれる格言に
「正義の反対は別の正義」と言う物がある。
出所は存じていないが、全く持って其の通りである。
世の中には無数の
「相対的な正義」が存在しているのであり、
「絶対的正義」等と言う物は
存在し得ない。
欧米中心の現在の国際社会から見れば
「危険分子」「反平和的」な
中東のテロ組織だって、
中東社会からすれば
「侵略者」を追い払うべく戦っている「平和の使者」に写るかも知れない。
自らの行動を
「明白な天命(マニフェスト・ディスティニー)」とまで評し
「世界平和の実現者」たらんとする米国だって、中東から見れば
単なる侵略者
だ。
この様に、「平和」とはあくまでもどの立場に立つかによって正反対になる様な
多元的な物なのだ。
その「平和」へ誰がどれだけ貢献したか等と決め付け賞状を授与すると言う行為自体、ナンセンスだと言わざるを得ないだろう。
◆
「ノーベル平和賞」を授与している「ノルウェー・ノーベル委員会」がもしも本当に
真の世界平和
を望んでいると言うのならば、
先ずは欧米白人列強国が「明白な天命」を有していると言う考えの
欧米中心主義、欧米帝国主義を改める事が先決ではなかろうか?
文責:大日本國民愛國義勇軍「秋水」編集部