◆我々 大日本國民愛國義勇軍 は、祖国日本を愛し天皇陛下を敬う、
   国体護持・国民の愛国心向上・反日組織追放などを目的に設立された
   愛国者集団・右翼団体・民兵組織であります。






旭日





◆長編コラム「旭日」第一話 「「夫婦別姓」考」
皇紀2670(平成22)年1月11日

 サイト開設当初、一ヶ月に一度の更新を目標として運営していく予定だった長編コラム「旭日」。
しかし、昨年の八月にこの「大日本国民愛国義勇軍」公式サイトを設立して以来、年が明けて本年一月になるまで半年以上の期間があったと言うのに、更新は今回の一回のみしか行われていません。
それどころか、今回が現段階では最初で最後の更新ということは、この「旭日」にはサイト開設から半年以上の期間に亙って一つも記事が掲載されていなかったと言う事になります。
ここ二、三ヶ月はブログ「時局論壇」 ばかりを更新しているだけで、この本家サイトの更新は大東亜戦争開戦記念日(12月8日)の記事以来更新が一度も行われておりませんでした。
当サイト及び「時局論壇」を初めとする愛国義勇軍関連サイトを御訪問下さっている数少ない訪問者の皆様、本当に申し訳有りませんでした!
散々偉そうに「メインコンテンツ」「長編本格コラム」等と銘打っているくせに記事掲載数がゼロでは流石に拙いと判断し、拙い物ながらとりあえず一本目の記事を執筆させて頂きました。
というより、実際にはとある方が運営されているブログにコメントとして投稿しようとしていた物が諸事情から投稿できぬ事が判明した為、没にはしたくなかった筆者が多少の改変を加えて此方の記事に でっち上げたと言うのが本当のところなのですが・・・。

兎にも角にも、そのような経緯を経て、開設半年目にしてやっと「旭日」第一話が完成致しました。
題して「「夫婦別姓」考」
テーマは、題名からも分かるように、近年になり議論されていた物の自民党政権時代には押さえ込まれていた筈が民主党による政権交代により急激に実現の可能性が高まってきた 「夫婦別姓」制度についてであります。
と言う事で、前置きが随分と長くなってしまいましたが、本題を開始する事にしましょう。



 昨年(皇紀2669年)八月末に行われた衆議院選挙の結果、戦後60余年の長きに亙り日本の政権を掌握してきた自由民主党の議席が大幅に減少し、民主党が議席を凡そ二倍にさせる大躍進。
結果として、鳩山由紀夫首相率いる民主党連立政権が誕生しました。
日本を代表する売国政党である自民党・公明党を軽く上回る売国奴っぷりを遺憾なく発揮し続ける民主党政権は、数多の 売国的な法案等を発表。
内側から合法的に我が帝国を侵略せんとしている事は説明するまでも無いでしょう。
その民主党が中心となり野党時代から推進して来たとある法案があります。
その名を「夫婦別姓法案」と言い、同党が提案している他の売国法案とまとめて、良心ある一般帝国臣民の方々や愛国心に溢れる右翼の方々等には様々な理由から批判が行われている法案の一つであります。
筆者も、自ら進んで「右翼」「愛国者」を名乗る身。
普通に考えれば上記の「反対派」の方々と共に反対をしているのが当たり前の反応と思われるかもしれません。
しかし、実際には、筆者はこの法案自体を批判した事は有りません。
尤も、「男女差別」などと言う意味不明な理由を元にこの法案に積極的な賛成をする勘違いしたキチガイフェミニスト を批判した事は幾度と無く有りますが。
しかし、前述の通りこの法案自体を批判する心算は全く無いのであります。
とは言え当然ながら「差別」「人権」などと言う方向へ 話題を巧妙に摩り替えて賛成論を叫ぶ心算は毛頭もありません。
「フェミナチ」キチガイババアと同列に成り下がった訳ではない事を明言しておきます。



 それでは、何故筆者はこの法案の導入に肯定的なのでしょうか?
理由は複数存在します。
その中でも、一番大きいのは「民間人を対象にした行政制度に於いては、実害が無い限りは最大限に個人の自由を認めるべきである」 と言う考えであります。
先述の反対派の方々は、この法案に反対する主な理由として「夫婦別姓制度導入⇒家族の絆が希薄に⇒家庭の崩壊⇒地域社会の崩壊⇒国家の崩壊」 と言う負の連鎖が発生するのではないかとの御考えを挙げています。
しかし、常識的に考えて、この構図はあまりにも飛躍し過ぎた物であると言わざるを得ません。
確かに、「国家の中に地域があり、地域の中に家庭があり、家庭の中に個人がある」というのは間違いの無い事です。
人間は、国家〜家庭と言う様々な共同体の入れ子構造の中で連携を保っている訳でありますが、しかし、その入れ子は必ずしも大から小への縮図の形をしている訳では有りません。
そもそもからして、「国家」 「地域」・「自治体」・「家族」では、その組織が持つ拘束力に違いが有りすぎます。
そして、国家とは必ずしも上記の入れ子構造をとらなくとも運営していくことが可能なのではないでしょうか?
国家と言う大きな容器の中に無数の家族と言う小さな容器を配置し、その中に個人を配置する構造が現在の日本社会で成り立っているのは事実です。
しかし、必ずしも小さな「家族」と言う容器を挟まなくとも、「国家」と言う大きな容器の中に個々人を直接配置する事も出来るのであります。
容器の中の物の配置は、入れ子構造の方が便利な場合もあるでしょうが、大きい箱の中に直接物を詰めたほうが便利な場合だってあるのです。



 そもそも、夫婦別姓制度を導入したからと言って、それが直接家族制度の崩壊に繋がると考える事自体必ずしも正確であるとは言えません。
勿論、「苗字」が「家族」と言う入れ物の蓋が勝手に開いてしまわぬよう固定している鎖の内の数ある一本である事は確かです。
そして、その「苗字」と言う鎖が他の鎖と比べても一際太いのも確かでしょう。
しかし、苗字なくして家族は成り立たないのかと言えば、そのようなことはありませんよね。
逆に言えば、苗字が違うだけでばらばらになってしまうほど「家族」と言う入れ物の蓋が緩いのであれば、そんなに締まりの緩い入れ物に国家の縮図としての役割を任せる事自体おかしいのではないでしょうか?



 筆者が「夫婦別姓法案」導入に賛成する理由を幾つか述べました。
しかし、賛成する理由はまだ有ります。
自分がこの法案に賛成する具体的な理由として最大の物が、「選択的別姓」であると言う事です。
「選択的別姓」とは、言うまでも無く別姓制度の導入をするかしないか本人達が決められる と言う事であります。
別姓を選択することは出来ますが、従来の婚姻制度と同じく夫婦で同じ苗字を使う事も可能なのであります。
即ち、この法案に反対の立場をとられていらっしゃる方々は、実際に御自分が結婚なさるときに「別姓」を選択しなければ良い だけの事なのであります。
そもそも、現代の日本社会で選択的別姓を導入しても、実際には今までどおり同姓にする夫婦が殆どではないでしょうか?
あえて新制度を利用して夫と妻で別の苗字を利用すると言う夫婦は極少数でしょう。
しかし、それぞれの夫婦の事情によっては「結婚はしたいけど苗字は変えたくない」と言う状況もある事にはあるのです。
その「事情」は、到底他人には言う事の出来ないような重大な物かもしれませんし、「苗字が変わると仕事上で不都合がある」とか「結婚はしたいけど前の苗字に愛着がある」と言った極々軽い物かもしれません。
勿論、どの様な事情が背景にあるか等と言う事は御本人達だけが知っていれば良い事であります。
他人にそれを探索する権利は無いでしょう。

 我が大日本帝国は原則として自由主義の国家であります。
帝国臣民に対しては、実害が無い場合に限って最大限の自由を与えるべきなのではないでしょうか?
前述の通り、それぞれの夫婦にはそれぞれの事情があります。
そういう意味でも、それぞれの夫婦の事情によって別姓と同姓を選択できる「選択的夫婦別姓制度」 は、必ずしも夫か妻のどちらかの姓を選ばなくてはならない現行制度よりも優れているのではないでしょうか?
ある意味、時代の潮流の変化を鑑みての法改正であるとも言えるかもしれません。
自分は反日左翼連中のように必ずしも「変化」「変革」「革命」を良い事であるとは考えませんし、此れからも変わらず守り抜かねばならない伝統も数多く有ると存じます。
しかし、この「苗字」と言う制度に関しては、時代に沿って変革を進めて行っても良いのではないでしょうか?



 多少話が脇道にそれますが、今述べた「変化」「変革」についての話を以前ある方に御話ししたことがあります。
その方も、自分と同じく一般的には「右翼」と言われる政治思想を御持ちでいらっしゃるのですが、
先程の「守るべき物もあるが変えるべき物もある」と言う事を述べたところ、その方は 「伝統は絶対に守るべきであり、安易な変化をさせるのは誤っている」と仰いました。
しかし、その考え方を適用すれば、徳川幕府による悪政に幕を下ろし代わりに近代国家の幕を開いた日本近代史の一大事件である 「明治維新」も誤りであったと言う事になってしまうのではないでしょうか?
明治維新とは、言い方を変えれば「革命」であります。
徳川幕府の立場に立ってみれば、明治政府はクーデターを起こしたテロリスト集団であると認識されても仕方ないでしょう。
しかし、明治政府が維新を以って前時代的な徳川の世に終焉をもたらしたからこそ我が日本は近代国家「大日本帝國」 として生まれ変われたのであり、日露戦争で当時の列強国であった帝政ロシアを打ち破る 事が出来たのであり、大東亜戦争で結果としては負けてしまったものの世界中の帝国主義勢力を相手取って一大聖戦を起こし、 大東亜を列強の魔手から守り抜くことが出来たのであります。
恐らく、明治維新が起こらずに徳川幕府が健在であったなら、帝政ロシアはおろか清朝ですら倒せなかった事でしょう。
それどころか、朝鮮ですら徳川幕府にとっては大敵だったかも知れません。
明治維新と言う、当時の社会を180度転換させるような大革命が起きたからこそ、現在の 栄光ある繁栄を遂げた我が大日本帝國が存在しているのであります。
誇りある固有の伝統を疎かにし何でもかんでもやれ改革だ、やれ 変革だ、と変えていってしまうのは愚かな事です。
しかし、必ずしも「伝統の保守」だけを絶対正義の御旗にして旧来の物だけに頼っていたのでは対応しきれない事が発生します。
だからこそ、臨機応変に守るべき物は守り、変えるべき物は変えていくと言う姿勢が重要なのではないでしょうか?



 随分と大きな話になってしまいましたが、筆者は、上記の「守るべき物は守り変えるべき物は変えていく」と言う考え方はどの様な場面においても応用が利く事だと考えております。
そして、今回の主題である「夫婦の姓」「家族の姓」と言う問題は、変えるべき物に含めても良いと個人的には判断しています。
以上の様な理由から、自分は「選択的夫婦別姓制度」の導入に賛成しているのであります。
誤解が無いように言っておくと、しつこいようですが、自分が賛成しているのはあくまで “ 選 択 的 ”  夫婦別姓」の導入です。
「選択的ではない夫婦別姓(=強制的に夫婦の苗字が夫と妻で別々にさせられる)」の導入には、 絶対に反対です。
此れこそ正に伝統の破壊であり、国体の破壊であります。
あくまで「選択的」である事が重要なのです。
まあ、実際問題「選択的ではない夫婦別姓」の導入を主張している人と言うのは極少数ですが。

兎にも角にも、守るべき部分は守り、変えるべき部分は変え、日本の「國體」を大事にしていきたいですね。



文責:大日本國民愛國義勇軍「旭日」編集部




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